江戸時代後期の須崎で医業に従事する傍に書画に励み、この地の文化活動の始祖となった文人古屋竹原。
現在、 まちかどギャラリーでは、竹原生誕 230 年を来年に控え、須崎市、および個人の所蔵する竹原と門人の作品 20 点余を展示しています。

 

 

全国的に名の通った画家ではありませんが、山水画や草木花を得意として「竹原の梅」と称される優れた作品を残し、地域を代表する絵師として迎えられています。

 

 

江戸時代から広まった南画あるいは文人画と呼ばれるカテゴリーに属する古屋竹原ですが、この頃には竹原と同様に画業を専門とせず、他の学問も修めて、幅広い知識、高い教養をもとに書画に臨む文化人が数多くいた様です。専門性よりもアマチュアリズムにこだわる態度は東洋ならではの美意識と言え、それが現在の日本人の芸術感にも繋がっている様にも思います。県展や公募団体展が定着したのもこうした思想が背景にあるのかもしれませんね。

 

 

竹原の生きた時代からおよそ200年が経ち、彼ら文人たちが目指したであろう、権威や封建的社会から抜け出した、より自由な価値観の形成は達成出来たのでしょうか?

 

 

 

本来文人とは、"画家とは、絵画とは、芸術とはこういうもの"といった思い込みから脱し、広い視野で多様な価値観を認める社会を展望するの生き方の事だったのではないかと想像します。
相手を慮り、見立てや喩えを用いながら、控えめながらも伸び伸びと表現された作品を観ると、情報化社会の中で直接的な言葉ばかりを投げ合う現代に失われたものも多いのではないかと思います。

 

 

さて、竹原を始め、須崎の郷土史の研究、保存は市民の手により進められて来ま したが、世代交代に伴い、地域文化の継承が課題となっています。展覧会を通して評価が広まることで地域に残る貴重な文化資料の記録・保存が進む事を願います。

 

 

そして今月からは現代の須崎をリサーチし、地域の資源や魅力、あるいは課題をアートの立ち位置から解釈し、発信するプロジェクト「現代地方譚」が始まりました。5回目となる今回は〈想像の葦〉をメインテーマとしました。 新荘川に葦の茂る景観は竹原が眺めていた時代からどのように変わったのでしょう。200年という年月は途方も 無いですが、まずは私たちが子供だった頃を思い出し、川と私たちとの関係性-環境・生態系・経済発展 etc. - を考えることを出発点に、須崎の将来を想像しようという取り組みです。

 

 

美術、演劇、音楽の分野からアーティストが訪れ、来年1 月の発表に向け活動を開始しています。滞在や聞き取りを通じて出来上がるアート作品によって、人との交流によって、当たり前と思っていた価値観にちょっとだけ転換をもたらす事が出来たら嬉しい。

 

 

こうして見ると幕末の文人も現代のアーティストたちも根底にあるものにそう違いはないと思いませんか?

 

「古屋竹原展」「現代地方譚」どちらも大切にしたい。どちらも応援していただければ幸いです。

このブログを書いた人

川鍋 達
千葉県出身。美術を専門に学んだのち、ドイツに渡り、研鑽を重ねアーティストとして活動。国内外の展覧会に参加。帰国後、美術教員を経て地域おこし協力隊として須崎市に移住。経験を活かし、まちかどギャラリー運営のサポートに当たる。協力隊任期が終了後、引き続きまちかどギャラリー館長として企画・運営に従事。アートプロジェクト「現代地方譚 アーティスト・イン・レジデンス須崎」のディレクターを務める。